京劇最後の女形 藤間遊子の思い出
中国との友好のはじまりは、昭和63年大阪厚生年金大ホールで開催いたしました公演での創作「七夕幻想」の彦星役に、北京京劇員の女形、温如華さんに来日していただいた事でした。


文化大革命により女形の育成は禁止され、京劇の女役は女性が演じる事となりました。
京劇の歴史に咲き誇る名女形梅蘭芳の
孫弟子にあたる温如華さんは、京劇最後の女形となりました。

創作「七夕幻想」

公演で友好を深めた私は「遊子とむらさきの会」が、北京で京劇との合同公演をしたいという希望を伝えました。
しかし、そのあくる年ショッキングな事件がおこりました。「天安門事件」です。
温さんは、天安門の近く、胡同で暮らしている。とお聞きしていましたので、大変心配いたしました。
ある日、中国から一通の手紙が届きました。
「今も北京で公演する気持ちは変わりませんか」という温さんの手紙でした。
そして、「日・中・美合同公演」が実現したのです。

北京公演

遊子とむらさきの会・北京京劇院一団合同記念公演

日・時1990年8月14日・15日場所「中国文化宮礼堂」主催・北京市対外演出公司・北京テレビ
企画・構成藤間遊子

「遊子とむらさきの会」の出演者として、モダンダンスの前田寛子先生・クラシックバレーの地主薫先生・アメリカのダンサー
ピーター・ゴライトリーさん・特別参加として、劇団「若獅子」の代表笠原章さんが同行して下さいました。
京劇院一団の代表・李元春先生は、途絶えていた日中交流が再開された折、日本で孫悟空を演じられた、中国を
代表する孫悟空役者です。

恩師・向井芳樹先生の想い出

中国と私を結びつけてくださいましたのは、帝塚山学院短大・国文学部の恩師、故・向井芳樹先生でした。
厚生年金大ホール公演での創作の題材を御相談しましたところ、夏の公演、「七夕がいいのでは」とおっしゃり
「七夕幻想」の脚本を書いて下さったのです。
先生から「七夕は中国より伝わったもの」とお聞きした私は、「彦星は京劇役者さんにお願いしたいのですが」と
希望を御相談しました。
先生は大の中国ファン、特に京劇を愛されていました。
猿之助さんが、スーパー歌舞伎で京劇と合同公演されるよりも以前の話。国際事情も今とは違いました。
山あり谷ありで実現した公演でしたが、その後私の舞踊人生に、大きな幸せを運んでくれました。



日中友好五周年記念公演

日中友好五周年記念公演を、大阪国際交流センター大ホールで開催。温さんと三回目の共演。
オリンピックを目指す子供達五人も来日し、日本の子供達との共演もはたしました。
ちょうど、ペンポスタサーカスの子供達も来日しており、催しで、子供達による「七夕幻想」を演じました。

先日テレビをみていたら温さんが


東山紀之さん。「愛よさらば」の公演で演じる京劇女形の動きを、北京で勉強のニユース
見れば温さんが指導。
変わらない美しい姿に、感動しました。

温さんの楊貴妃